2017年02月24日

人とのつながり

人とのつながりを持つということはめんどくさいことも多く、必要以上の


つながりは持たないという人も多いだろう。


しかし、人とのつながりを持たない人生を選択するとより一層、人との


つながりを持つことができなくなる。


朝起きてから夜寝るまでの間にどれほどの人間と会話したり、メールを


したり電話をしたりするだろうか?


テレビのように一方通行の発信は非常に楽であり、それに見ている人たちも


また、こちらからの一方通行である。


SNSはどうだろうか?


会話をできる機能も備えているが、自分のことを知らない誰かが普段の自


分の生活や価値観を見ることができる。


しかし、それを見たほうはその情報でその人を判断し、先入観を持つ。


インターネットの情報を信頼し行動を起こす人たちは驚くほど多い。


情報を一方的に配信し、それを一方的に利用できる世の中の弊害とは今後


どのように形で世の中にあらわれるのだろうか?


もしくは既に影響は出始めているのだろうか?




ソーセージ




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posted by yasuo-eguchi at 08:39| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月20日

企業の継続

企業が継続することの難しさを痛感している。


日本企業の象徴ともいえる家電関係企業の衰退はそう簡単に見過ごせる事態


ではない。


わが国の国力の低下を決定づけるとともに次世代への不安材料になることは


間違いない。


ここで、次世代を担う若者の目に何が写っているのだろうか?


人口は減少傾向にあって、現役世代はさらに減少していくことは明らかである。


政府は学費を援助する制度の構築を進めているが、果たしてお金がなくて学校


に行きたくてもいけない人はどの程度いるのだろうか?


勉強をする気もない人間が無理に大学まで進学することに意味があるのだろう


か?


時間とお金を無駄に浪費するだけではないだろうか?


さらに、大学への進学者を増やして管理者教育をしたとしても管理される人


たちはいるのだろうか?


お金がないから学校にはいけない。


立派な理由である。


それでも行きたいのであれば、特待生や別格の推薦で無料で進学すればいい。


進学しなくても学力がともなわないのであれば、諦めるかアルバイトして


いけばいい。


そんなに世の中自分の好きなことができる世の中ではないし、できる世の


中にもする必要ない。


時に必要以上の利便性や自由は命取りになる。





posted by yasuo-eguchi at 11:09| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月18日

ふるさと納税

ふるさと納税の制度が整備されたのは2008年頃だっただろうか?


一般のサラリーマンで高所得者でない場合だとあまりメリットが得られないが


高所得者の人ならばサラリーマンでも相当なメリット得られる。


地方自治体の格差を是正する目的で導入されたこの制度だが、結論から言えば


格差の是正にはつながっていないどころか、これまで正常に運営できたいた自


治体にも影響が出ている。


そもそも各自治体が平等に格差を是正すること自体が簡単なことではないにも


かかわらずこのような法案が可決されるのだから驚きである。


若者たちは政治に関心がなく、所得が300万にも満たない若者たちにはこのよ


うな制度の弊害もないようにみえるが実はそうでもないのだ。


大学への進学率は毎年更新される一方で政治や経済を学ばないこの国のツケは


近い将来必ず訪れるだろう。




若者の集まるお店へ。




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若者が食す食べものをオーダーしてみた。




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posted by yasuo-eguchi at 18:11| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月17日

社会の進歩

社会の進歩とは具体的に言えばどういうことなのだろうか?


それは、日々の生活の中での教育・情報・医療・居住環境・人権など最低限度


の生活がすべての国民に保障されるということなのだろうか?


では、日本はどうだろうか?


世界の中でもこれらの環境は限りなく整備されているのではないだろうか?


しかしながら、中国・インド・ロシア・南米をみるとどうだろうか?


一部の富裕層によって所得の再分配は実行されず、大半の国民は最低限度の


生活を保障されていないと言えるだろう。


例えば、これらの国に新たな政策や国の方針によって、所得の再分配が実施


されて多くの国民に生活の保障がなされたとき、わが国への影響はどのよう


なものだろうか?


少なからず影響は出るだろう。


国外への安い労働力の確保や食物などの輸入品にも大きく影響し、これまでの


生活保障が継続しにくい状況になるのではないだろうか?


ようするに世界中の人たちに最低限度の生活が保障される世界を実現するには


先進国での便利で快適な暮らしを見直し、少しばかり最低限度の生活が保障され


ていない人たちのために技術・教育・医療などの提供を実施すべきなのではない


だろうか?


社会の進歩はある一定の所得や経済発展を実現した国においてのりしろは少な


く、比較的のりしろがある後進国へ支援をしていくことが必要なのだろう。


このような難しい問題について考えるには私はまだまだ人間が浅いとつくづく


思うのでした。日々精進。




ハートランドビール。



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麻婆豆腐。




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紹興酒。




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チャイナを満喫しました。



posted by yasuo-eguchi at 09:14| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月16日

苦難という評価

人間は生まれた環境や育った環境、そして生まれ持った障害など、世の中で


ハンディと呼ばれる境遇にある人たちが大勢いる。


また、まったくその逆である世の中でいう何不自由のない環境と生まれ持った


才能に恵まれたと言われる人たちもいるのは事実である。


しかし、これは客観的に見た事実に過ぎないという考え方も存在する。


アメリカの研究者の研究によれば人間は苦難を乗り越えた時に成長するという


研究結果が出ている。


日本でも、「苦労は買ってでもしろ」というような言葉がある。


残念ながら、自ら苦難の道を選択する人などいない。


そうなると、一般的に苦難な状況であるとされている人たちには生まれ持って


大きなチャンスとともに生まれてきたともいえるだろう。


その証拠に様々な業界での成功者は苦難を幾度も乗り越えてきた人が


多い。


ようするに、苦難をいかにチャンスと捉えて乗り越えていくかが人生に


おいて重要であるということである。


精神的に追い込まれない程度に苦難と共存することは悪くないのかもしれない。



う巻き。日本では昔からあるのだろう。



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イワシの煮つけ。いまでは高級魚となったイワシ。




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posted by yasuo-eguchi at 09:03| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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