そんな特性を持った日本人とマスコミとの関係はどのように変化してきた
のだろうか?
一昔前では報道部や社会部で活躍する記者の映画やドラマが存在した。
いつしかテレビの存在意義は収益を得るためだけの薄っぺらい画面に変わり
箱型テレビの中に詰まっていた人々の正義や希望は消え去ってしまった。
インターネットやテレビでは無責任な文章がいたるところに散在している。
それは個人の自由だとしても、電波使って流れている情報を巧みに操って
利用しているという、浅はかな人は自分が情報によって誘導されているこ
とにも気付くことはない。
教育が劣化して指導者を失った日本は全世界から流入する情報に翻弄され
市民はうろたえ、一部の富裕層と偏差値の高い人達の作る世界で暮らす。
現実をとらえることは非常に難しく、真実は全く必要もないことがほと
んどである。
騙されても騙されていることに気づかせないのが一流の詐欺師であり、
騙された人たちは死んでもその真実に気付かない。
三流の詐欺師につかまってしまえば死ぬまでに真実に気付き絶望する。
どうせなら、一流の詐欺師に騙されたいものである。
「信じる者は救われる」この言葉通りの世界を目指すべきなのだろう。
テレビ、ラジオ、新聞などの媒体を運営する側のレベルは地に落ちている。
お金だけでは効用は得られない。
お金という目盛りが付いたスケールを捨て、自分の目で確かめることが必要
だろう。