2016年03月18日

勝ち組と負け組

世間でよく聞くことばに「勝ち組と負け組」という言葉がある。


どういう意味なのか?


人生がうまくいっているということか?


それともお金を稼いでいるという意味なのか?


このような意味でこの言葉が使用されているとすれば今の日本ではこの言


葉通り、「勝ち組と負け組」の差は大きく開いているだろう。


毎日のように借金をしている人たちや莫大な税金がかかるという相談を受


けるが、まさに両者の相談内容は正反対である。


私は金融関係の方と仕事をする機会が多いが、大体の人はこの仕事はいろん


な人に出会えて楽しいという。


それは、銀行・保険会社・証券会社などの大きな看板があって、いろんな人と


出会うため、自分自身に責任もなく、それなりのおつきあいで仕事をするため


楽しいのだろう。


例えば、銀行にお金を借りているが、誰に借りているのかはわからない。


担当者でも社長でもない。


金融業界では、30歳にもなれは年収1000万に手が届く人たちも中には数


多くいる。


私は彼らにいつも言うが金融業界は「空虚な世界」と呼んでいる。


彼らは長く金融業界にいることによってしびれた足のように感情の感覚を失い


いつのまにか大きな間違いをおかす。


しかし、その間違いにも気づかない。


「空虚な世界」が生んだ犠牲者たちである。


世界は金融という業界に埋もれ、そして、蝕まれていく。


所詮は人間のなせる世界には限界がある。


地に足をつけて歩いてみることも時には必要だろう。


素足のままで…。





posted by yasuo-eguchi at 08:05| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月04日

狭い世界と広い心

毎日の日々を過ごす中で、人は限られた時間と小さな世界でさまざまな決断を


する。


自分の世界とはどのような世界のなのだろうか?


また、限られた世界で構築された自分自身の考えや知識はその他の世界で通用


するのだろうか?


答えはノーである。


残念だが、それほど世の中は甘くない。


しかし、限られた狭い世界を抜け出して勝負にでる人はそれほど多くはない。


ほとんどの人たちは限られた世界で一生を終える。


狭い世界で過ごすことを選択させることによって思考という回路を完全に停止


させる。


そして、ひたすら前だけをみて進ませるのである。


今から500年から1000年ほど前の日本では主は城の上から城下町を眺


めた時代があった。


現代では、所得層の低い人たちや労働者たちが、主が決めた制度のなかで、


もがき苦しんでいるのを主はどこから見ているのだろうか?


今、この国が求めているのは本当の強者であり、それは若者の中から現れる


ことが必要である。


しかも一人でなく、多くの強者が現れなければならない。


本当の強者はどこにいるのだろうか?


となりのあの子かもしれない。




黒焦げのサバ




IMG_1011[1].JPG




少し塩がきいた黒焦げのサバが大好きである。


もちろん尾っぽ。











posted by yasuo-eguchi at 08:21| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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